土器川河川遡行

 14日朝、数日来の暖かさは遠のき、本格的な冬の到来を感じさせるほど土器川河口周辺には膚をさすような寒風が吹き荒れていた。記念のプレートを大地に打ち込み、そこからはまだ視界に入っていない南の県境に向かって歩きだした。歩くにつれ身体は温まってくるが、外気は依然と冷たい。土器川はその河床の一部に穏やか流れをみせていた。讃岐富士(飯野山)を左に見ながら歩いていくと琴平の健脚大会で通る道に合流する。その行事のある初春とは異なり、路傍には枯れた草木が埋もれていた。

 西の空がにわかに暗くなる。雪が舞っているのであろう。新しい情報が入る。明神から奥は雪が積もっているらしい。琴南町長炭小学校で昼食をとる。暫時の休憩ですぐ身体が冷えるほど寒さは厳しくなっていた。

 川幅が次第に狭くなり、雪をいただいた山々が徐々に眼前に迫ってくる。中通に入ると家並みが多くなり往来の車の量も多くなる。大川山から下ってきたらしい車の車体に雪が積もっている。三年前の冬、ここから大川山に登り塩入に出たワンゲル大会を思いだす。空はあくまでも青く澄み渡り、日ざしを浴びて光り輝く一面の銀世界、真新しい足跡を雪の中に残していったあの時が鮮明な記憶となってよみがえった。

 川は崖にはさまれ、川面を眼下にながめながら進む。頭上には大川山の頂に通じる林道が白い雪の中を一本の線となって続いていた。はたして、明神を過ぎるころからそこかしこに雪が散見される。午後四時前に美霞洞温泉に着く。その晩、雪がふった。

 15日朝、雪がふり続く。旅館の窓から見える道には雪が積み山の地はだは灰色に染まっていた。午前八時、土器川源頭に向かう。雪が深くなり、寒風の中、横なぐりに雪片が顔をうつようになる。歩調が乱れてきた。冬山は雪が地形を変えてしまうので道に迷いやすいし、多人数の行動には困難が伴うので、健脚組とそうでない者との二グループに分かれる。細心の注意と的確な判断に基づいて行動しなければならない。人家は途絶え、山の中に入るとヒザが雪で隠れてしまう。その中を、両側から覆いかぶさる樹木の小枝を手でかきわけて懸命に登る。先頭と最後尾との間隔が開いてきたので声をかけあって登る。しかし、その声も激しい風の音に邪魔されて途切れ途切れになる。

 稜線沿いに歩いていると眼鏡がぬれて前がよく見えなくなる。右眼下に広がる雪原のどこかに土器川の源頭があるはずなのに、よくわからない。正午前、阿波竜王と讃岐竜王の分かれ道に出る。立ち止まると急に身体が寒気を覚えてくる。グループの中に地下たび姿のお年寄りもいたが元気に辿り着く。その人の頑固(がんこ)さと忍耐強さに感心させられた。しかし、冬山を軽くみて貰っては困るという心配もあった。ともかく、そこが土器川源頭の真上であることは間違いないので、そこを最終地点として頂上には登らず一刻も早く山を下りることにした。

 讃岐竜王山頂近くの積雪は1メートルを超えていた。雪を踏み分けていく足どりに疲れがでたのか、つまづく者、すべる者が出てきた。風と雪はおさまっていたので、フードを脱いだ顔に笑いがもれる。緊張感から解放されると、つい先ほどまで風と雪とに苦しめられたことが嘘のように思われた。そのことは、充実感というものは苦しみの中にあるというよりも、その後に生ずるものであるという思いがした。

 午後一時前には全員塩江奥の湯温泉に着く。後ろを振り返っても竜王の山並みは見えない。しかし、この二日間の行動の最後に立ちはだかった山の偉容は忘れられない。すでに、リュックに残っていた雪も消えかかっていた。

 高松に戻ると、晴れ着姿の女性たちに出会った。そうだ成人の日だと気がつく。すると、突然、彼女たちはこれからどのような人生をつくりあげていくのであろうかと、とりとめのない思いにとらわれた。