21日午前四時、高松駅にねぼけまなこの連中が続々と集まる。松田ハイキング協会長、柴田市民スポーツ課長に見送られてホームに出る。伊予寒川駅下車、駅前の広場で隊伍を整える。いよいよ100kmへの第一歩である。夜が明けかかったミカン畑の中を太平洋を目指す。少し汗ばむ。ふりかえれば瀬戸内海が広がる。空は淡いピンクを交えたブルー。はやる心を抑えようとするが足は自然と速くなる。法皇ずい道は長い。車が爆音をとどろかせてかすめ去る。マッサオな空とマッカな木々を湖水にうつした金砂湖。銅山川は、紅葉を分けて流れる。前方の赤石山系には霧氷。医師の中島先生が合流。雨男三人そろったが、本日はなぜか上天気。富郷から猿田へと道は続く。下見の時あえいだあたり。ボツボツ足の強弱が出てくる。上猿田部落で大休止。昼食をとる。全員食欲おう盛。どの顔もつかれはない。この壮挙を新聞で読んだと部落の人が寄ってくる。土佐、伊予国境はもう近い。ここから国境の白髪ずい道まで、行商人が瀬戸の珍味を背負って通った道が残っている。杉の木立にかこまれた忘れられた道。今、四十数人の人々が、色とりどりのザックを背に語り会いながら、口ずさみながら行く。ずい道からしばらくは道が荒れている。沢沿いの小径(みち)は丸木橋が朽ち果て徒歩を余儀なくされる。穴付きの特別製のくつをはいた林先生は水ぬれ防止に四苦八苦。どこまで行っても、すんだ水と紅葉。この世のものとは思えない景観が続く。予定より一時間早い冬の瀬到着。地元PTAの方々の心づくしの夕食。仲南町でおられた「いずみ」さんからの酒の差し入れ。土佐の味、人の味をかみしめて、秋につつまれた一日の余韻を胸に寝袋に入る。はやイビキのコーラス。午後八時四十分就寝。<土釜 一>
夜半、人の出入りと寒さで目をさます。教室の中はすでにストーブは消え、黒いかたまりが夜目にうすぼんやりとうつる。寝袋にもぐりこんだ疲れた姿もあるかもしれない。せせらぎの音が疲れをいやすかのように忍び寄る。眠る。そして再び目がさめる。午前六時四十分、地元の温かいもてなしと激励を受けて汗見川沿いに出発する。「冷たい」その一語に尽きる大気だ。白い息が口辺に漂う。それでも健脚自慢たちの集団のピッチは速まり、しだいに体は汗ばんでくる。遅々としたあゆみにも似た山間の風景をこわすかのように、黙々と歩く後ろ姿。ふと、みんなはいったい何を考えながら歩いているのかというたわいない思いがうかぶ。午前八時五十分。早明浦ダムの下に出る。暫時休憩。ダムをバックに写真を撮ってもらう。たばこがうまい。朝日がまぶしい。突然、出発の笛の音。町中を歩くとやたらと人と車が目立つ。南国の暖かい陽光を浴びながら伊勢川沿いに進む。路傍の民家の軒先にぶらさがる干しガキ、周囲にひろがる苅田。そして遠くかなたには雄大な石鎚の山容がながめられる。このころから足の動きがおかしくなる者が出た。もちろんだれひとりとして弱音を吐かない。心の中で励まし合いながら、ただ黙々と歩く。後ろから見ていると、そう思わざるを得ないほど皆の歩行は真剣なのだ。みんなが一体となってある目標に向かって進む真摯(しんし)な姿がそこにあった。このような状況で、優しい言葉をかけることこそ相手にとって屈辱なのだと思う。それは、全行程の半分をともに歩いて来て、最後まで歩き続けようという気力に満ちている者たちの暗黙の了解なのだ。大国主神社で昼食。先頭と最後尾の時間差三十五分。食べてしゃべるひととき、疲れた表情はない。土佐町と南国市の境、中ノ川越午後零時四十分。そして、そこで見たもの、それははるかかなたに鈍く光る海、太平洋の姿だった。午後三時三十分、黒滝の小学校着。児童数ひとりの学校。食欲おう盛。就寝午後九時。あすは太平洋だ。<中尾 節夫>
午前五時三十分、一、二日目の疲れが残っている体を、南国市立黒滝小学校の講堂で起こす。あわただしく身支度、朝食。校長先生、給食のおばさんに見送られ、最後の行程に向かってスタート。足を引っ張るように杉の間を縫う細い山道を歩く。やがて、「た、太平洋だ、見えたぞ ! 」と先頭からの声、遠くに白っぽく見える海を見て、「あそこまで歩くのか」と思ったのは私だけではあるまい。スタート直後、厚い雲にさえぎられてた空も午前九時過ぎから回復。山の中腹のなだらか道を、田んぼ道をススキ、竹に迎えられたり、送られたりしながら土佐神社に到着したのが十一時。弁当の包み紙をほどこうとして、心温かいもてなしを受けた宿泊先の人々を思い出し、つい深く頭を下げる。はるばるかけつけてきた森慶太郎高松市ワンダーフォーゲル協会会長の激励の言葉で幾分元気を取り戻し、鳥居の前で記念撮影。木々や草花に囲まれた山道をなつかしみながら水田地帯の中を真っすぐ走る広い道路を二列に並んで行進。アスファルトの道、信号、自動車‥‥は、足の痛さをなぐさめてはくれず、最後の関門のように思えた。武市半平太の旧邸での休憩も、気はすでに太平洋という感じで、早々に出発。小さい山あいの道を抜けると、大きな松の木が並んでいるのが見える。頬をなでる風も塩を含んでいるようである。「もう、すぐだ。あの松の木のところまでだ」、足どりも軽くなり走るように田んぼ道を横切る。松原を抜けるとビニールハウスが現れる。その向こうに防波堤が見えた。高知市砂地である。「とうとう着いたのだ。全員、無事に」。午後二時、まず、青い海、白く大きな波、それに青い空が四国横断を祝ってくれた。皆、水平線を見つめ、自分の脚で四国を横断した感激に酔いしれ、満足感があふれていた。そして、三日間雨の降らなかった空に向かって、何度も礼を言った。<山下 恭平>